年 | トピックス |
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1963 | 第1回合宿「北岳」に5名。池山吊尾根~バットレス第4尾根登攀(4月) |
1964 | 会報「REPORT」第一号創刊(9月)。さがみの会ネームワッペン作成 |
1965 | 細野淳美が上智大学のペルーアンデス遠征に隊長として参加(5月~12月) |
1966 | 台湾の玉山登山を計画するがメンバーの都合で断念(3月)。神奈川県山岳連盟加盟(4月) |
1967 | 清水政美が上智大パンジャブヒマラヤ遠征に参加(9月~12月) 会マーク・バッジ(山ゆり図案)制定→銀バッジに通番号で会員に交付 |
1969 | 伊東征司、渡辺茂、剣持昌司らが利尻岳の東南稜登攀(3月) |
1970 | 山田邦昭、古谷勝がヨーロッパ遠征 メンヒ西陵・リスカム北西壁・モンテローザ・マッターホルンヘルンリ稜・モンブラン登攀(6月~9月) |
1971 | 総会で活動3ヵ年計画(1971~1973年度)を立案(4月) ①ヒマラヤ調査研究→海外委員会設置 ②総合登山技術修得・向上 ③地域研究→鹿島槍ケ岳と周辺 ④丹沢を中心とした個人山行 ⑤8ミリ映画による記録作成・保存 |
1973 | 創立10周年事業「アンナプルナ南峰(7,219㍍)登山隊」ネパールに派遣(2月~5月) 山田邦昭、古谷勝、渡辺茂、大塚季光、曽我勝儀、村上保則らが 京大ルート~東山稜ルートから6,760㍍で登頂断念。 |
1974 | 総会で第2次活動3ケ年計画を樹立(1974~1976年度) ①組織拡充強化⇒新人対策 ②丹沢の地域研究 ③報告書提出と会報継続発行 ④第2次ヒマラヤ登山推進 山岸猛男会長還暦祝いを尊仏山荘で実施→30名参加(9月) |
1978 | アンナプルナ南峰(7,219㍍)第2次登山隊(隊員7名)が北東壁ルートに挑むも 5.910㍍で登頂断念。 |
1987~1992 | 地域研究・宮ケ瀬の沢遡行に取り組む 遡行もしくは下降した沢:25本 延べ46名参加、 延べ日数21日 |
1994~1995 | 地域研究・南ア 鳳凰三山 山域・離山周辺に入域 大武川・一ノ沢など遡行、その後尾根から山頂に立つ マチャプチャレ前衛峰「マルディヒマール(5,568㍍)」にトレッキング行(メンバー1名) 乾期で水の補給が出来ず4,180㍍を最高高度に下山(1994年10月) |
1995 | 谷川岳・天神尾根雪洞利用で5名が登頂(3月) 北岳・バットレス第四尾根を5名で登攀(10月) |
1996 | 甲斐駒ヶ岳の黄蓮谷左俣を2名で登攀(1月) 五竜岳遠見尾根ルートを6名で登頂(5月) 剱岳合宿・真砂沢山荘幕営地から八ツ峰Ⅵ峰A・B・C各フェース、チンネ中央チムニーなど登攀(8月) 前穂高岳・Ⅳ峰正面松高ルート登攀、前穂高岳北尾根の登攀(9月) |
2002 | 夏山合宿・双六谷遡行及び雲ノ平縦走(8月) |
2003 | Pasang Sonam Sherpa来日で富士山へ(12月) |
2009 | 2009年6月中旬 南八ヶ岳・編笠山-権現岳(6月)、荒川岳-赤石岳(8月) 大峰山脈・八経ケ岳(11月)、奥多摩・雲取山(12月) |
2010 | 金峰山&国師岳(6月)、南アルプス南部・荒川三山縦走(7月) 岩木山・百沢登山道コース~津軽岩木スカイライン八合目(9月) |
2011 | 会津駒ヶ岳(8月)、聖岳~茶臼岳(8月) |
2012 | 白神岳(8月)、宮城県の船形山[御所山](9月)、戸隠山(10月) |
2013 | 福島県・磐梯山(7月)、十和田山岳会との交流登山により八甲田山(9月) |
2014 | 十和田山岳会との交流登山により八甲田山(5月) 早池峰山 小田越往復・下山後早池峰神楽見学(7月) 鳥海山・湯ノ台~滝ノ小屋~鳥ノ海~伏拝岳コース(9月) |
2015 | 三重県・局ケ岳(3月)、安達太良山(5月) 栗駒山須川温泉ルート往復(6月)、高妻山~戸隠牧場往復(6月) 北八ヶ岳・北横岳~三ツ岳~雨池山~縞枯山荘~ピラタスロープウェイ(10月) |
2016 | 十和田山岳会との交流登山により南八甲田、横岳・ガチャボッチ(4月) |
2017 | 信越の山・水の塔山・篭ノ登山(5月)、秋田県・森吉山(6月) |
2018 | 鳥海山・強風で御浜小屋で撤退(7月)、大菩薩嶺(11月) |
2019 | 甘利山~千頭星山(5月)、浅間山系・黒斑山(8月) |
2020 | 2020年度は新型コロナウィルスの影響でほとんどの山行が中止 |
2021 | 会員6名が入会し一気に若返る(4月) |